図書館ライフ続々

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

これは借りた本ではなく、蔵書なんですが、図書館に持ち込んで勉強の合間に息抜きで読んでいます。

経済学の始祖、アダム・スミスの古典。

面白いです。というか、この人、天才でしょう。出版が1776年なので、今から230年前の産業革命期のイギリスです。日本は江戸時代中期、田沼意次の時代。この時点ですでに、今の経済学の教科書の原型のようなものが出来上がっています。

財とサービスの需要供給曲線と均衡価格の話から、労働市場の需給曲線と均衡まで、誰にも習わずによく気がついたものだと思います。原理原則から、将来を予言するような記述もあります。

労働賃金の上昇をもたらすのは、国富の大きさではなく、国富の増加が続くことである。このため、労働賃金がとくに高いのは、とくに豊かな国ではなく、とくに勢いのよい国、とくに急速に成長している国である。

国富が大きくても、その国が長期にわたって停滞を続けていれば、労働の賃金が高いとは考えられない。賃金の支払いにあてられる資金、つまり住民の収入と資本は多いかもしれない。しかし、この資金が何世紀にもわたって横ばいか、それに近い状態を続けていれば、ある年に雇用された労働者だけで、翌年に必要な労働者の数は十分か、ときには余ることになる。人手が不足することはまずなく、雇い主が人手を確保するために賃上げ競争をする必要はない。この場合には逆に、人手が自然に増加して職の数を上回る。職がいつも不足し、労働者は職を奪い合うしかない。このような国で労働者が生活でき、子供を育てられる水準を労働の賃金が上回ることがあっても、労働者の間の競争と雇い主の利害とによってすぐに、普通の人道的観点からみて最低の水準まで賃金が低下する。

おそらく注目しておくべき点をあげるなら、人口の最大部分を占める下層労働者がとくに幸せに快適に暮らせるのは、豊かさが頂点に達したときではなく、社会が前進しているとき、豊かになる方向に発展しているときである。社会が停滞しているときには労働者の生活は厳しく、社会が衰退しているときは労働者の生活はみじめだ。

国富というのは、資本のストックとインカムをあわせたような概念ですね。最後の引用文は、戦後の日本を予言しているかのようです。炭鉱や製鉄所などの労働者が最も勢いのあったのは、石油ショック以前の高度成長期でした。70年代に石油ショックで低成長期に入ると、三池炭鉱の労働争議のような最後の輝きを放って労働者の時代は終わります。そして、バブル崩壊後の停滞期の下層労働者の現状、いわゆるワーキングプア。数年前から人口が減っていますから、需給の関係から言えば経済が停滞していても賃金は上がるはずですが、下層労働市場には外国人労働者流入しているので、賃金の値崩れ(ないし停滞)が起きています。

最近の若い人は、ファーストフード店やコンビニで外国人からカタコトの日本語で接客されるのが当たり前だと思って育っているんでしょうねえ。確か、私が中高のころは、そうでもなかったような気がするんですけど。